2018年06月21日
お庫裡から 2018年5月
老眼鏡を使うようになって、もう何年経つのでしょう。
4/8のコンサート準備の最中から眼鏡がケースごと行方不明になりました。
ケースと言っても、バッグの中で嵩張らないように、着物地で作った頂きものの袋です。
外出もしていないし、必需品だから、そうめったな所へは置いていないはず、そのうち出てくるだろうと軽く構えてコンサートに走りまわっておりました。
コンサートも無事に終わって、さて、眼鏡の無い生活は不便で仕方がありません。第一に、新聞が読めない、本が読めない。
どこで最後に使ったのか、一生懸命思い出そうとするのに、頭は「記憶にございません」状態。
「おかしいなー」「おかしいなー」と毎日探しまわるのに、どこからも返事がありません。
眼鏡の無い生活に、ついにたまりかね、「あの眼鏡も度が合わなくなっていたからねー」と自分に言い訳をして、新しく眼鏡を作り直すことにしました。
案の定、度は進んでおり、替え時だったのかもしれません。
思わぬ出費は、少々痛手。
毎日、あれが無い、これが無いと時間を取られて、探しまわる私に、行方不明の眼鏡は、お灸をすえてくれたのでしょう。
このお灸、何時まで効くのでしょうか。
Posted by 守綱寺 at 20:00│Comments(0)
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