2024年07月08日
お庫裡から 2024年6月
6月には父の日、父のことも書いてみようと思います。
父は9人兄弟(7男2女)の末っ子で、名前を有終と言います。
たくさんの兄弟なのに戦後を生きたのは2人の姉と8番目のすぐ上の兄の4人だけでした。
さて、父を語ろうとすれば、子どもの頃から面白いエピソードがいっぱいある人で、この紙面だけでは語り尽くせないほどです。
当時としては170cmと背も高く、がっしりした体格で、声も大きく姿勢よく、一見堅物でした。
おべんちゃらや追従は大嫌い、私たちの育つ頃はどこでもそうだったかもしれませんが、父と話す時は姿勢を正し、敬語を使い、今のように父娘が友人みたいに喋るということはありませんでした。
しかし本当は軟派で、末っ子の甘えた、多い兄弟の育ちか気配りの人、ユーモアが大好き、お話を作って家族を喜ばすのが好きでした。
「わしは小説家になりたかった」と漏らしたことを憶えています。
桑名中学の時、出席を取る先生が父を「三浦丙しゅう」と呼んだところ、すぐ立ち「成績は丙を取ったかもしれんが、親に付けてもらった立派な名前があるのだから、有終と呼んでくれ」と申し立てたそうです。
丙を取ったという父に読めない字を聞くと、どんな字もすぐスラスラと答えてくれたので、丙なのにすごいと変な感心をしていました。
戦後の経済成長の中で、新しもの好きの父は、ステレオ・テレビ・洗濯機・掃除機・冷蔵庫と次々と買い、母を一時困らせましたが、家電の便利さを知った母が喜ぶ姿に「よかったやろがー」と満足気な父でした。
こうして父のことを思い出せる私は幸せです。
夫は父を知りません。
2歳で生き別れ4歳で死別しているからです。
結婚をした時、父は夫のことが気に入り、夫もよく父に会話を合わせてくれたので、私は夫のお陰で親孝行が出来たような気がしました。
その父も亡くなって25年になります。
Posted by 守綱寺 at 13:41│Comments(0)
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