2019年01月04日
お庫裡から 2018年11月
毎年、11月の声を聞く頃、来年の手帳を買い求めます。
いつの頃からか、新しい手帳の裏表紙にその一年、自分が心に止めておきたいと思う言葉を書いています。
「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来(このかた)、常に没し、常に流転して、出離の縁あることなし」
『教行信証』二種深心 聖典P215
この言葉は、何度も何度も書きました。
ちなみに去年(2017年)は
「其れ、三宝に帰りまつらずは 何をもつてか 枉(まが)れるを 直さん」
(枉る=邪見、驕慢) 『17条憲法』
今年は
「臨終まつことなし 来迎たのむことなし
信心のさだまる時 往生またさだまるなり」 『末燈鈔』
でした。
手帳を実質使い出すのは、年が明けてからです。
それまでに、この新しい手帳にどんな言葉を書こうか見つけ出すのが楽しみです。
何だかんだと言っても、究極、私の最大の関心事は、私自身なのです。
いくつになっても外ばかりに目がいく私に、呼びかけ、自分を目覚ましてくれる言葉。
そんな言葉に出遇い続けて、生きていきたいと思っています。
「仏教は、人間奪還の運動である」
Posted by 守綱寺 at 16:01│Comments(0)
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