2020年09月03日

お庫裡から 2020年9月

お庫裡から 2020年9月

断捨離という言葉は、いつ頃から世の中に出まわるようになったのでしょうか。
電子辞書にその言葉はないので、全く最近の新しい言葉だと思います。
私の部屋は10畳ありますが、4本の本棚、ピアノ、座卓、小机、ミシンと道具が多過ぎです。
なのに、その中に仕舞い込めない物が机にあふれて片づいていたためしがありません。
「あーあ、片づけたい」「いらん物は捨てたい」
そう思うのに、一つ一つ手に取ってみると、「今捨てなくても」「そのうち使うかも」と、また同じ場所に置きもどすので、相変わらず散らかったままなのです。
友人達は「断捨離しなくては」とよく言います。
ある一人に「どうして断捨離するの」と尋ねると、「だって、息子達に迷惑かかるもの」でした。
私はその言葉に、すっかり考え込んでしまいました。
人間としてオギャーと生まれ、何もできなかった者が、学校へ行けるまでにしてもらえ、やがて社会人となり、結婚して家庭を持ち、子を育て、家を持ち、子が自立して、人生の終盤にたどり着いた今、自分の身近に置いた物は、自分の人生を彩った、笑い、いや涙、腹立ちや喜びのいっぱい詰まった物ばかりでしょう。
それらを断捨離するとは、私の生きた痕跡を断ち捨て、ゴミにしてしまうということです。
娘や息子の迷惑というのを露骨に言えば、「お金にならん物は残さないでね」「私達にお金を出させないでね」という子側の圧力?
親もまた同じ物指しを使っているからなのでしょう。
自分の人生は、ゴミとなる歩みでしかなかったのか。
今、盛んな者も、ゴミの未来に向かって歩んでいるのか。
絶対にそんな人生ではないはずです。
人は人の間でしか生きられない。
迷惑をかけずには生きられない。
その事に気づいて「すみません」と頭を下げ合うところに、人は人間として育つのだと思います。
「迷惑をかけぬ」というのは、人間の思い上がりだと思います。
その上で、断捨離という事を考え直したいと思います。


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Posted by 守綱寺 at 20:00│Comments(0)お庫裡から
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