2021年02月01日
お庫裡から 2020年2月
お風呂に入ると、正面に鏡があります。
一瞬、「あっ、お母さん」と思う。
写っている姿が、晩年の母とそっくりなのです。
「あっ、いかん、いかん」とあわてて背中を伸ばします。
湯ぶねに入って考えます。
母はいくつの時、父を送ったのか、と。
父の死後、母はよく泊まりに来てくれ、旅行に何度も一緒に出かけました。
津から電車で来るのに、こちらでは売っていないからと、重い漬物をいつも二軒分(姉の所)持ってきてくれて。
指折り数えると、母が父を送ったのは、丁度、今の私の齢に当たります。
ああ、母は若かったなーと驚きます。
今の私には、母と同じような体力はありません。
母と同じでなくても、生きているという事は、そこを生きよ、と命に願われているという事なんだと、独り言って湯ぶねを出る。
鏡は湯気で真っ白。何も写りません。
と、又、新たな考えが。
老人になって、姿が老人臭くなって、何の不思議があろうか。
当然の事ではないか。若くあろう、若く見せようと計らう所に無理がある。
身が段々教えてくれる。
ここを生きよ。そこを生きよ。ありのままに。
あーあ、そうでした。わかっちゃいるけど……。
私の事です。それを忘れて悪足掻き、何度もしそうです。
Posted by 守綱寺 at 15:31│Comments(0)
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