2022年06月01日
お庫裡から 2022年5月
毎日テレビに流れるウクライナのニュースを見ると、ウクライナの今は、76年前の日本の国土の姿であり、ロシアの姿もまた、戦争をしていた日本の姿だと思わされる。
そのあまたの戦争の犠牲の下に、二度と戦争の惨劇をくり返さないようにと、日本の平和憲法が制定されたのだと理解している。
安倍元首相の「みっともない憲法」発言に、なんというひどい発言かと、胸が苦しくなった。たった一つのいのちを戦争なんかで奪われたくない。
それが世界中の人々の願いなのではないでしょうか。
平和憲法と親鸞聖人の教えが、世界に誇れるものだと、誰かが言っておられた(うーん、思い出せない)。
平和とは何か。何が平和か。
どうなれば平和になるのか。
「平話の為に何をしたらよいか、君自身が平和の人となり給へ。」と毎田周一先生は言われる。(「片片」より)
そう言われると困ってしまう。
家族の中でも、一寸した言葉のいき違いにさえ、心乱れるのに。本当に人間とはやっかいなものだ。
阿弥陀さんは、苦しむ私の正体を自分の内に見つけるまで、私をつかんで離されない。
ああ、そうでしたと、頭が下がって、ここまで歩ませて頂いて来た。
さて、これからは、身体はヨレヨレなのに、意欲ばかりあって、一番困った年寄りに、私はなってしまった。
(狭窄症の手術は、半年先)
Posted by 守綱寺 at 17:19│Comments(0)
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