2023年02月20日
お庫裡から 2023年2月
NHKの大河ドラマ「どうする家康」が始まりました。
なんとわが守綱寺は、三河一向一揆で家康に刃向かった一向宗の大将、渡辺高綱の子、一揆平定後に家康の家来となり、又、その家康を支えた家来16神将に数えられる渡辺半蔵守綱、その名がお寺の名前となっているのです。
家康と同年齢の守綱は槍の名手で、槍の半蔵と呼ばれ、家康の信頼も厚かったと聞いております。
家来の中にいた門徒さんたちは、皆、家康と同じ浄土宗に改宗されたようですが、渡辺さんは信仰を捨てなかったのです。
尾張徳川家を立てた時、犬山の成瀬、海津の竹腰と共に、渡辺家は軍事担当家老として高橋の庄(中心が寺部)を拝領、そこに墓所を作りました。
そうそう、寺部は家康の初陣勝利の場所です。そこを拝領したのです。
1639年、それまで横山御堂と呼ばれていた寺を守綱寺と改め、1644年、守綱さんの23回忌法要に合わせ、二代重綱、三代治綱さんが京都伏見城の軍議評定所を本堂に移築、山門、鐘楼、太鼓堂と伽藍が整備されました。
その後、一度も建て代わっていないので、本堂等4点は379年の歴史を見てきたことになります。
明治以降の荒廃で寺には何も残っておりませんが、本堂内陣のうぐいす張り、桃山様式と思われる欄間、狩野派の手になる大襖に、当時が偲ばれます。
この広い本堂に座ると、どうぞ南無阿弥陀仏のおいわれを聞いてくれよ、という渡辺家三代の願いが今も脈々と流れているのを感じます。
ドラマで守綱さんがどのように描かれるかも、興味のあるところです。
Posted by 守綱寺 at 16:50│Comments(0)
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